夕帰りの子供たち 平成22年11月の日記

11月30日
 ものすごい雨なので本でも読んで、喫茶店行って、誰にも電話しないで、「ダァーッ!」とか言ってたいんだが、学校がある。
 試験前は学校を休んではいけない。学校休んで塾にも行かずテストが解けるような、訳の分からない人間ではない私は。わかってんだけどねえ。一時間目体育だから行こう。
 ズッキーニとソーセージ食パンに乗せて、マヨネーズかけて朝ご飯ダー!
 しかし、朝ご飯にズッキーニ食べたとか言う人見たことないな。みんな朝はズッキーニ食べないのかな。

11月29日
 工藤の心のままにならないものはねえ、加茂川の水、双六の賽、山法師、それから、それから、それからねえ、…いっぱい!あはは。

11月28日 
 
  もう偉そうに書くのはやめようと思う。やめようと思うんだぜ。偉そうじゃなくて良いじゃないの。しかし、ただ「日記」を書こうと思うと、意外と昨日と同じ今日だからつまらない。なにやってんだろうね。ほんと。学校より学校の行き帰りが付かれているという妙な事態。最近そんな調子。
  そういえば「自分のこと好きでしょう」ってたまに言われますが、自分のことは好きでも嫌いでもない。嫌いって言わないんだから好きなんだろうと言われればそれは確かに好きなのかもしれないが、やっぱりどっちでもない。自分はゼロの点にいて、その周りにほかの人がいてこそ冷静に向き合えると思う。こういうこというと怒られるんですが、そうなんですよ。
 自分のことが好きすぎて実は自分のことしか好きじゃない女の子は、自分がかわいすぎて、自分のことを愛してくれる人も大好きなものだから独り占めしたくなって、他の人を排除しようとすることがある。私はそういうのきらーいだ。しかも自分ではそれに気付いてないところとか、いやだ。思い込みの激しい人たちだ。さすがに彼氏をシェアしろとかいうわけじゃないが。彼氏が女の子の友達に会って遊んでたからって騒ぐって何なの。
 ちなみに男の子のことはまだよくわからない。
 彼女たちは全く…自分のこと愛してくれる人と自分で世界が成り立ってるんじゃないんだから。とかってこんなところに書いてもはっきり言って意味ないんですよな。自分のこと好きすぎて聞いてくれないんだから。まあ、そういう人に比べたら自分のほうが好きです。
 なんだかんだいって私は周りの常識や、周りの痛みを分からない人をみると、「ちょっとなあ」と思ってしまいます。たとえばブログかなんかに文章を公開するときに、病名などを使うときは慎重にならなければなりません。「今日あほなこと言ったら友達に○○病って言われたー!私○○病かもー。早死にしたらどうしようっ!」とか書いてるやつには嫌だなあ、と思う。
 しかし、こういうことが起こるときに、必ずしも書いている人間が救いようのないような人間かというとそうとも言い切れない。その人は、その病名が古いアニメのふざけた感じのセリフで使われているのを聴いて真似しただけかもしれないし、お母さんがそう言ってるのをずっと聴いて育ってきただけなのかもしれない。まあいろんな可能性がある。
 テレビなどで報道されている有名な病気でも、その症状の一部分しか知らなかったり、そもそもそんなのはうその病気だと思っていたり、そういう感じでその病気に関する知識が不十分だったりして、あんまり知らないのにそれを使って楽しくなるだろうと思ってふざけて書く場合もあるだろう。しかし病気なんかに関しては慎重にならなくてはいけないよ、と思う。
 いろんなジャンルの言葉を使って書いたりしゃべったりし、しかもみんなに嫌な思いをさせないで生きていきたいと思うならジャンルにこだわって好き嫌いしたりせずに、いろんな情報を学び、いろんな本を読もう。人に教わるのが苦手な人もとりあえず酷いことを言わないくらいの知識は身に付けないとだめである。
 子供を叱るときに「おまえは○○病か!?」とか言ってしかりつけるのは私的にはあり得ないんだが、結構やる大人がいて、そのたびにオイオイ、って思う。が本人は全然悪いことと思ってないみたいだ。だいたいそういう人に限って○○病について詳しく知っているわけでもなかったりして、知らないんなら使うなよ!(つか知ってたらきっとあなたは使えないよ!)と思う。そういう時に限って、昔の友達や親戚にその病気で苦しんでいるのがいたりして、私はそのとたんにその説教を聴く気が失せる。それどころかほんとにその人を不出来な人なんだなあ、とか思ってしまう。さすがに同級生とかがやってしまっても、しょうがないか、って思うが、30近い大人が堂々と教室で私のことを「○○病か、おまえは!」とかって叱っていると、「先生、そんなこと言わないほうがいいですよ。この中にそういう病気の人がいたらどうするんですか。」とか口答えして、まあ忘れもしない中学一年生の一学期、校長室に初めていれられたんですが、あの担任はほんとに自分が喋ってる言葉も把握していないような人だったから、私の言ったことは正しかったと思っている。
 まあ実際、性格の問題っていうのもあって、なんでもぽいぽい言っちゃって後で自分の発言を振り返ったりもしない性格の人は、自分がやばい発言をしていたことにも気付かず一生過ごすかもしれないし、そういう人でなくても、誰かに注意してもらった言葉を呑み込めなかったりする。そういうもんですよね。
 しかし私も、毎日嫌というほど自分の発言を思い返して、気が狂いそうなくらい恥ずかしがったり、「うまいこというたわ!」とかたまに思ったりしていますが、あきらかに恥ずかしいことのほうがまだ多くて、「うまいこというたわ!」なんて、ほんの少ししかないです。
 こないだなんて、つい気を許した友達と二人きりだった時に「面白い歌があるんだぜ」、っていって、「ぜーきんどろぼーのうた」って言うのを歌って、歌い終わった瞬間にそのこのお父さんが警察官だったことに気が付き、本気で謝ったりとか、してたし、もうほんと、緊張感が足りませんな。気を許した友達に対して緊張するって言うのもどうかと思うが。親しき仲にも礼儀あり!ですからね!私も気をつけないと。
 ほんとに、進学とか就職とかしない人でも、人と、嫌な思いをさせずに話せるくらいの勉強はしとかなくちゃなるまいよ。
 私としては上に書いたみたいな嫌な気持ちにさせる、特にちょっと考えれば分かるようなもんなのにっていう無礼なことをはしゃいだり調子乗ったりして小学生のテンションでぽいぽい言って、家に帰って考えてもそのことに気付かないような人に比べれば、話すのは苦手でも無礼で人の心にぐさっと刺さるような発言はしない人のほうが、ぜんぜん良い人だと思う。
 なんにしても、勉強と訓練、です。あーあまた偉そうになってしまった。
 でも本当はいいこと言ってる人とか、本当は楽しいつもりで書いてる人の話が、たった一言で、一部の人に「非常識!」とか言われて終わりになるのは、つまんないし、未来が消されるじゃないですか。もったいない。案外その一部の人が重要なところ握ってたりもするんだから。
11月28日
外国人が五人くらい我が家の玄関前に群がっていて、何事かと思ったらみんな振り向いたので家に入るのはやめて階段を下りてコンビニで立ち読みをしました。というかあの人たちは何ものだったのでしょうか。ここらへんは国際交流会館と言って、東大とか結構すごい大学に通っている外国人留学生の人が共同生活している施設があるので色んな国の人が歩いているのですが、私の家の玄関の前に群がるわけが分かりません。一時間たってもどってみたら誰もいませんでした。少し疲れているのかもしれない。いやいや。
最近夜が早く来るし、夜が本当に暗いので気味悪いです。部屋が寒いので笑っています。もう常人と共同生活はできません。微妙な気分を吹き飛ばすためにありとあらゆる事をやるもんだから家族にも怪しまれます。笑えます。なかなか。
学校に行っても何かおかしいらしくてみんなに、大丈夫か、という感じのことを言われます。自分では何がおかしいのかはっきりとは分からないので、どうしようも、ないです。夕日でさえなんか眩しくて困ってます。昼間のお日様は眩しすぎます。セーターを着ると眠い。
夏ごろの文章を読み返したら、暑苦しくってまいりました。力に満ちていました。季節の問題なのかはわかりませんが、今は蜜柑がおなかいっぱい食べたいです。
どうも冬は弱気になっていけないです。もう都会のことを忘れました。ずっと世田谷区のどこかの畑と公園の横の家で暮らしています。ずいぶんと、のんびりとしているぶん、煮詰まっています。夜になると家から出たくて、わなわなとします。お茶でも淹れて飲んでもだめで、新宿が懐かしい。
こんな冬でもたまに晴れ渡って、東京なんだなあ、と思わせてくれたりします。東京タワーが小さく見えて。自分はどうもあの東京タワーとか言うものが好きではないんですが。東京タワーの周りは全部が全部デートスポットみたいな感じで一人で歩くところではありませんねあれは。
部屋がとてもきれいなのは、毎日布団を敷くからだな。この点、冬はいい。
今日はカレーを食べて寝ます。
今お風呂を洗います。隣の部屋で弟の友達と弟が暗闇でゲームをしています。あいつらはなんで部屋を明るくしないのか。電気がついているのに。なんか怖いな。

11月27日
ありふれたことしか思い浮かばないです。しかしこれが自分でありふれていると分かっているからまだいいほうです。
自分のやっていることがありふれていると分からないで、してやったり、みたいな顔して毎日過ごしていたらどうしよう。これは大変まずい。
私はありふれたことをするのが割と好きで、いまの人はありふれてるのはいけないと思うあまり、ありふれてない関係や、ありふれてないキャラクターを必死で考えて、かえってぐちゃぐちゃにしてしまうから、
たとえばお父さんとお母さんではなくて、お父さんと愛人。たとえば、年上の近所のお兄さんじゃなくて、実は彼は彼氏、とか。たとえばモグラだと思ったら宇宙人、とか。いや、それは面白いか。
なんかもはや昼ドラみたいな場所では、ありふれてない、普通じゃないことが求められすぎて、複雑不純、屈折したのがありふれてて、マンネリ、とか、変なことになってるもんで、そういうふうになるとむしろありきたり、といわれているようなものが嫌な気持ちにならないで見ることができるものだったりする。
じつはありきたりというのはすごい。格好いい。
しかし、ありきたりなことを面白くやるには、それがありきたりだということをちゃんと分かっていなきゃいけないと思う。
私はもう、ありきたりをわざと避けることにばかり取り組まないで、ありきたりをより格好良く、新しい形で使っていくことや、まあその過程でもしもまるっきり新しいものが見つかったらそれをより効果的に使っていくことに力を注ぎたい。
それくらいに思わないと汚いものを作ってしまいそうだ。

11月26日
好きじゃないものはたくさんある。けどここで、好きじゃない、とか、嫌いだ、とだけ書いても意味がないので書かない。そういうふうにしていきたい。嫌いだというだけでは解決しないことばかりだ。嫌いだ嫌いだとばっかり言わないで、言わないでさ、嫌いならどうしてほしいのかという、そういうことを書けばいいのですよ。それを書けば嫌いだなんて言葉はいらないんだから。と、思います。
嫌いだなんて言葉を使うのは酔った時と本当に怒った時だけでいいなあ。
嫌いだとだけ言って訳を言わない、とか、新しい明日につなげる願望を書かないなら、誰にも受けとめてもらえない。おんなじような温度で、おんなじような形の体を持って同じ東京で暮らしている人々の体の中を流れて行くだけで、意味ない。吐きだすだけなら明日につながらない。何も変わらないって嘆くけどさあ、そういう日記ばかり書いてればそういうふうになっていくだけだよ。
熱がないなら、かわいらしいだけならもう、そんなの書く人は死んだ目でそこらじゅう歩いてる。
人間何十億人いるのか知らないが、その世界を動かすこともできないでいるうちから嫌だばっかり言っちゃだめだと思うよ。嫌って書くなら、嫌って言うなら、その理由を、それから、それならどうしたらいいのかってことを、書かないと。熱を感じないんで。動かされないんで。
一週間も心掛ければ大変苦しくなるだろうと思うけど、楽になるときが来るらしい。きっとそうだという。
救いようのない文章はもう書くまいと思うんだけど、私にとっても、なかなか難しいことでして、これが。結論どころか過程もはじき出せないような苦しみが多くて、涙が出るわ。たまらん。
所詮さみしい子供ですから。もっと広くならないと。

ところで、私が願望と愛情とせーしゅんをかけて書いた短いような長いような文章が、紙に印刷してもらえるようです。活字になるようです。ある雑誌の中の二ページになるようです。こんなに大きくスペースをとってもらったのは初めてで、初めてのことで、正直に言わせて頂くと嬉しいんです。つーわけで、買ってください。買ったら大切にしてください。私が書かせていただいた「目ざめよ!」という怪しげな感じの文章のほかにもものすごい文章がたくさん入っているらしいです。ほかにも、っていうか、そっちがすごいと思います。きっとすごいです。楽しみです。雑誌についてくわしくはノンポリ天皇さんのブログをどうぞ。

11月25日
泣ける話を書く遊びをしている。四人でノートを回して一つずつ書くのだ。
四人の中で私が一等下手だ。
だって誰も殺したくないぜ。登場人物を汚く不幸にするのは、彼らを愛してるからやだぜ。
油断して泣ける話を書き続けると死のノートになる。それくらい子供は今のドラマとか売れてる小説、漫画に影響を受けている。私もだけど。
ところで泣ける話、という縛りをとりやめてほしい。
そろそろ泣ける話は飽きてきた。
 
それから、私がどんな人でも嫌いになり切れないのは、不出来とかKYとか言われてる人は特に、そうなってる理由があって、それは私から見たらすてればいいのにとか、どーでもいいことだったりもするんだが、彼らは自分では気付かないわけで、どう考えてもタダ間違ってるだけ、とか、根本からの嫌な奴、ていうのはなかなかいないわけで、間違いには理由があるわけで、タダのどうしようもない間違いなんてのは、ないよ。あんまり。
素直な歌を聴いて、素直な文章を読んで、強制的じゃない方法で気付けたらいいのにね。
そうじゃないものの方がみんなの近くにあるんだもの。
私たちは普通に生きていれば見るものが少なすぎる。読むものも。聴くものも、考えることも少なすぎる。
にぎやかにゆっくりいきたいもんだ。「僕、僕、僕」ってなんないで、「僕とあなたと、あなたの友達、かぞく、そしてその友達」という具合にみんなで考えてね。
それを妨害するような態度はあんまりよくないっすね。たまに「それを妨害するような態度はけしからんね!」みたいに言ってる人が一番妨害してたりするので、私も気をつけないと。

4000打ありがとう。そろそろバナーを変えたいので誰か作ってください。つくってくれたら嬉しいです。
※卑猥なのはだめ。

11月24日
クリスマスまでに何とか彼氏作りたいとかいう話で三十分間、十人で輪になってお話しする技術を習得したかと思ったんだけど、こないだ入れてもらったら開始十分で妄想を図書館の静寂の中で暴露するという失態を犯した。
申し訳ないが楽しかった。ごめんなさい。
ちなみにクリスマスは毎年恒例、○浦くんとヤマトくんと三人でカラオケ大会!ワー!!!!
いいんだよクリスマスはこれで。クリスマスとか町中が偽リア充企画だぜ。
リア充って一体何なんだよという話は何回も友達としたことがあるけど結論は出ないのです。
ウィキにはこのように書いてある。
ちなみにリア充の画像などもある。なんか画像見たらますますわかんなくなってきた。
リア充診断とかやってみたらいいんじゃないですか。
もうすでにどうでもよくなってきました。私たちが何度も瞬間的には「リア充ってなんだよ」という疑問を持ち、友達にも「なんなんだろうね」とか言って意見を言い合いながらも結局結論が出ないのは、こんなかんじで途中でどうでもよくなるからって言うのもあります。
リア充って言う言葉を作った人頭悪いのかもな。
まあ私はリア充とかいうものがいても見えない体質なので、みたことないんですけどね、リア充。

「あー!久しぶりー工藤!」
「その声は内田…しか、し…」
「ここだよここー!」
「あー、ごめん、もしかしてリア充になったの?見えない。」
「しらないよ。リア充ってなんなのよ。」
「広辞苑引きなよ」
「広辞苑に載ってんの?」
「しらない。」
「で、リア充ってなんなの」
「しらない。そもそもリアルに(で)充実している状態がずっと続いてる人がいたら宗教。コーヒーでも飲むか。」
「あー、そのセーターわたしが上げたやつじゃん。つかってんのー?伸び伸びになっちゃってるねー。」
「つかなんで大学かぶってんだよ。やだなあ。内田に会いたくなかったな。」
「工藤が真似したんでしょ。」
「なんだとこらあ、そっちが真似したんだろ。ところで内田が見えない。」
 
というかんじで、私は内田にもらったセーターを使い続け、なんか大学でも現在の高校の昼休みにやってるどうでもいい会話ができたら面白いと思うので、まあお互い頑張りましょう。やるきねー。あはは。つかどうせキャンパスちがうし。

ほんとうのこといえば爽やかな子供になろうとか思ってない。おもってないのにそういうふうになるから恐れている。おろち!
自分ではいつも通り過ごしているつもりでも三十秒も人と話していると何か自分に奇妙な不具合を感じる。
理屈っぽくなったとか言われる。
そのくせ空っぽな顔しやがって!とか言われる。貶されているんでもないが褒められているわけでもなさそうだ。どっちかというと迷惑に思われているようだ。
まったくと言っていいほど友達の前で苦笑いをしなくなったらしい。気付かんかった―。
いじくりすぎてほんとに制御できなくなってきたのか!?
何か学校から帰ってきても疲れていない。前ほど。
まとっている空気がガバッと変わったらしいから友達が減るかもしれない。
クラスメイトにガールズトーク指導をしてもらったから変なことになったのか。いや、そんなやわなはずはない。
怖い怖い怖い。もしや、私はすでに死んでいる、のか?戻りたい。でもたぶんそんなに簡単には戻れない。

 
ありふれた感覚で
僕がもし幼少期を愛せるような
心がここで澄み切っているために部屋が腐って
いるように
晴々した元旦
ひとりだとしても
紅白に染まって朝を僕はふたりをひとりで
混沌の橋で
カフェー湖畔で
掌をかざして
愛せるような
もし愛せるような
 

爽やかな人になるのだと思い切って過ごしている。
そしたらなんか心まで風が吹き過ぎるようで困る。自転車で坂を二本漕ぎきる全力で。目が回る。とか言って、そんなもんじゃ目も回らない。死んでしまうなんて全く嘘だ。死ぬ気で行けよ死なないからね。
お菓子教室のチラシとからしくないものみて本気で暖かになってる自分がおかしい。駅のてっぺんまであたたかとしか言えない。
春の日が突然降り注いでるのはたまらない。マッチを擦って消してるだけで指導室に連れて行かれる善良な僕ってほんとどうしたもんかな。めえめえ。
こんなちょーしで空っぽなんである。
どうも学校では馬鹿騒ぎしているだけである。ここ何日かおかしいといわれる。ほんとにそう思う。もっと静かに色々と大事に話さなくてはと思う。
軸も何もぐでんぐでんである。家族には驚くほどやさしく、自分には何の感情もない。ただちょっとくだらな過ぎる素敵な事を体の表面でごろごろ頃がしてるだけである。僕もう。
僕っていう一人称はなんでこうちかごろからっぽに聴こえるんかな。時代とは出来るだけ関係なく、目を見張ってる僕は突然降り注いだ雨に打たれて冬の日に究極に寒い。死ぬまでこんなだったらどうすればいいんだ。自分の駄目さが目立ちます。助けろ。
いまさら何に泣くでもない。明日が綺麗だよ。

11月23日 

愛されるより愛したいマジで派のはずだったんだが(笑)こまったもんだねこりゃ。ははは。きづくのおそいし。愛されないと愛せないとか、気付くの遅いし。あーあ。頭おかしい。がっこーめんどい。危険な発想だなこれは。どこかでなにかを踏みちがえたね。

11月22日 箱庭の生活、箱庭の心
(いまから書くところ)

 
夜更かしするとこういうことになる。よくない。

だって僕にはなにもないのにみんながいじめるんだもん。なんにもないから「こないだ」があったのに、その延長線上にある今日だって昨日だってことごとく彼らが破壊しちゃうじゃない?そうすると僕にはもう何も残らないじゃん。プールの隅でドロドロしてんじゃん。もう何にもなんないじゃん。彼女のようにピンク色にもなんないし、彼のように黒くなれるわけもないじゃん。彼や彼女に未来があるけど、僕にはもう何もない。もう言葉にもならない。昨日からの今日がなかったら作りようがないじゃん、仮にそうじゃなかったとして何なの。僕一体何処に行くの。なんであの人が子供だった時には明日も自分が生きてるって思えたの。僕もうどうしようもないよ。だめなんだもん。僕だめなんだよ。僕がだめなんてほんとはもっと前から分かってた。なのになんで生きてたの。なんでなんでなんでいつもいつも僕はこんな風になんでなの。僕はもう喜ばせるべき人がいないみんな捨てていった拾われても捨てられた気分だから僕はこんな風に、だってどうしたって与えられることなんてないのにまってるから悪いんだよもう、でもでもでもでもそれだってこんなに吐きだすときは一生懸命にやってるのに、もう何も残ってないっていっつも思うのにどんなにやったってみんな一年も持たないからもうやだよもう夜だって朝だって関係ないんだよやってることは何一つ人に負けちゃあいないのになんでこうなるのなんでそんな素朴なものがみんな好きになるのこんな頑張ってるのにこんなに光ってるのになんでくだらない電話とかかけてきてさあ、そんな面白そうな声でどーでもいいっていわないでよ、僕もうやだよどんなに必死かすべてをかけてるか知らないんだろ。僕あんな奴に負けないよそのはずだったんだ。僕負けっぱなしだよ。ああそうかいだって僕はもう。だってなにもないんだって。僕は僕は僕は僕はね生き続けるよだってまだだめだ。僕おかしいけど、いつだって寝てみればまだ何か言えるんだもん。こんなとこで死んでたまるかって思うよ。何のための苦労だったの何のための読書だったの何のための、だって、誰にも負けるわけないじゃんよありえないじゃん。こんな、ありえない。こんなふうにおわるわけがない。僕は寝て、また明日が来る。この狭い部屋に明日が来る!明日が来ればまた頑張れると思うんだから、思わないけどそうなんだから、うう、寝るんだよもう。ねるんだってば。ああ…だってもう…あああああああ!
(※御心配には及びません)

11月21日 第六調査官室
 
霞が関に行って何をしてきたのかというと、裁判所で御話をしてきたのである。お話と言っても楽しいお話ではない。
まあ、救いようのない暗い話である。(11月22日のことであります。)
なんか調査官という人にお話しして、調査官という人がひたすら私の喋っていることをノートに記録する。それを二時間くらいずっとやっていた。大変な職業ですねえ、と思う。
私は暗い話が嫌いなんである。暗い話でも少しは笑いどころがあれば好きになる余地もあるんだが、自分の最も暗いことがあった時代のことばかり話せと言われると、やっぱり人間だから暗いことを思い出しちゃうわけで、あっちはお役人なので上手いまとめ方をしてくれるわけでもない。そういうわけでつかれた。
話の途中、調査官のおじさんは私に、「要するにお父さんのことも、お母さんのことも、あなたは好きなんですね」といった。私は「ああ!そうですね!」といった。何か突き抜けた感じであった。それにしても薄暗い部屋だった。調査官のおじさんがいいこと言ったのはその一回だけだった。たぶん調査官という職業は、そういうこと言わない職業なんだろう。
よくやるねえと思った。あーあ。
私は焼き肉を食べに行った。母と弟と一緒に行った。
焼き肉は素晴らしくおいしかった。しかし霞が関から見た東京タワーが、焼きついて離れず、隣の家族の会話をずっと聞いていた。寒い夜だった。店を出たところで雨さえ降り始めた。弟と母が生きているならそれでともかく、今は不満に思うこともなかろうと、思うのだ。
しかしなんて微妙な気分なんだろうと私は思った。雨が強くなり、バスに乗って家に帰り、ドアを開けて死んだように眠った。
家の窓から小さく東京タワーが見えるのを、夜明け前に起きて窓の外を見た私は思い出し、コーヒーを入れ、雨でびしょぬれのポールにしがみついていた。静かすぎた。朝になる前にまた布団に入って寝た。

11月20日
霞が関に行って来た。あそこはすごい。
東京タワーが見える。
東京タワーは見えるし簡易裁判所はあるし、家庭裁判所もあるし、警察の大きな建物もある。私のおじさんが働いている。ああいうところで働いたらどんな気分だろうな。
東京メトロが通っている。乗っている人がお洒落だ。アイフォンを使っている人が多い。良いスーツを着ている人が多い。東京メトロは地下鉄だ。それだけは嫌だ。私は地下鉄が嫌いだ。
帰りに地下鉄のホームの自販機でメロンパンを買った。メロンパンとってもおいしかった。地下鉄のメロンパンはおいしかった。
中学校の時のライバルを思い出した。いつもメロンパンを食っていた。地下鉄で思い出す昔のライバルは、ちっとも懐かしくなくて、私は早く地上に出たくて、うーん、と唸っていた。
昔頭が悪かった同窓生と電話して、私よ素敵な奴になったみたいだった。
なんかどんどん負けている。
頭の中で東京タワーがぐらぐらしている。
いまにみてろと思う。
いまにみてろ、という言葉が流行ってこまる。みんな今に見てろと言いながらぼおっとしているんだもんな。今になにが起きるって言うんだよ。

11月19日
旅行したい。
飛行機とかタクシーとか絶対使わないで旅行したい。
お父さんはすごい人だ。
子供を旅行に連れていくなら海外。中華料理食べさせるならフルコース。空港行くならハイアー。京都に泊まるならハイアットリージェンシー。
まあそういう人だ。
今になって、彼がが子供のころできなかったことを自分の子供にしてあげてたんだと知った。
でもなんかずれてると気付いてほしい。うーむ。


いやーなんか、むりむり


11月18日
急に祖父の家に出かけることにしたので間があいてしまいました。見てくださっている方に失礼なことをしました。申し訳ありませんでした。
出掛ける前にはもうホームページやめよかなとか考えていましたが、また何か書こうという気になりました。
8月ごろより気分は今、ずっと楽です。
感じることより、考えることを優先するようになったらです。
気分が楽だと言ったのは、ううん、少し間違いだったかもしれません。
ただ、机に座っていて、アパートの4階に居ながらも、地面に喰い殺されるような、こう、見えない悪いものが湿っぽく体に入り込んでくるのと戦い続けるような、いつも何かとにらみ合い、どこか熱く爛れているような痛くて熱く、それでも中のほうはどうしても冷たくてもてあましながら胸真ん中を穴が貫通して、そこを空気よりもっと重たい流れがどくどく流れていくような、身もだえして、暗い階段の下で朝を待つような、そういう気持ちはなく、なりました。
でも全部が何かおかしいのです。周りのものが全部世界に繋がって、ちっとも個人的じゃないような、考えているとそんなふうに思えてきて、酷く疲れて、何にもない所に住みたいのです。家族も本も、テレビもないところで、友達と、昨日の記憶だけがあるようなところで、もっとまっすぐに、まっすぐというより純粋に、僕でも私でもない自分と、いろんな人とだけを大事に破壊しないようにすることに全力を注いで、毎日暮らしたいのです。
べつにどうもしないです。いろんなことを試してみただけです。そーゆーわけで突拍子もなく結論からいえば、私は考えることをあんまりしないようにします。たぶん8月の頃のように暮らします。でも8月とはまったく違います。なぜなら私は考えることを忘れられません。
そして考え続けます。感じた後に考えます。生きてることもじきに嫌になりましょう。そんなふうに生きたらそのうち頭が狂いましょう。
こんなことを言うのは、今日が満月だからでしょうか。
実はさっきまで人一人殺そうかとも思っていたのです。要するにはそういう精神状態です。まともな顔してると思いますか。そんなことありませんよ。
この日記の最初の四行を書いて、朝飯を食べ、次に何行か書いて、出掛け、戻ってきてからここを書いています。それくらい文章が書けません。ほんとうはもっと出掛けていたい気分でしたが学校があるので帰ってきました。
私は常識的な人間です。学校に毎日時間通りに通い、小学校と中学校を卒業したのと同じように高校も卒業する予定です。
ほんとうは高校なんて行かないで働いても良いし、効率よく勉強しても良いのです。私の通っている高校って言うのは、そういうことを思わせるような学校なのです。かなりたらたらしています。お金持ちの中で勉強するのは疲れます。周りからお金持ちを見るような目で見られますが、お金によってつくられているのは私の下半身だけです。そのせいで走るのはあんまり早くないし、何かと怠けがちでよくないこともおこります。上半身は実に仕事好きでよく動きます。
お金というのは思い出がへばりついています。どうやって稼いだとか、誰にもらったとか、どういう苦労が伴ったとかいう思い出です。
大人と一部の子供はその思い出について詳しく知っていますが、全く知らない子供や大人もいます。
世間の悪とされる思い出がへばりついているお金もあれば、綺麗なお金もあります。その思い出を憎む大人や子供も、愛する大人や子供も、なーんにも知らない大人や子供もいます。
大人が働いているのを見たことのない子供は、お金をお金としてしか見ない。もしかしてガムの交換券とか、パンに変わるチップとして見てるのかもしれない。
そういう子どもの中では、たぶん、お母さんやお父さんと、お金、は完全に別のものになっている。「お母さんが稼いだお金」ではなく「お母さんがくれたお金」になっている。
自分もなーんにも知らない子供でした。
なーんにもしらないで父のお金を使いました。いまは、なーんにも知らないで使ったお金を、いつかは働いて返さないとと思っています。親切で返せばいいじゃないかと誰かは言いますが、私はそれをしたくないのです。どうしても。でもしなければならない。
今私の勉強のためのお金を払ってくれている人がいます。
そのお金は、将来お金が倍になって帰ってくることや、私に親切にしてもらうことを期待しているお金ではありません。
不確かな私の将来のために苦労の中から削りだしたお金です。半世紀以上の苦労の中で積み上げてきたお金です。そういうお金なんだということが、今の私には分かってしまう。
そのお金が、お金に甘やかされた学校に支払われる。私はもっと、追い詰められた空間で、自分を追い詰めて、叩きのめして勉強しなければと思う。そうしなければとても失礼だと思う。なのに私はだらしなく休み休み勉強し、甘い水を飲んで、これではいけない。
私みたいなのはもっと極限の場所で、苦笑いしても誰も受け取ってくれないような場所で、感情も消えゆくような思いで、誰かのためと思って、私が最も尊敬する、私に勉強させてくれている人が人に助けられて勉強した時のように、時代は違えど、必死でよじ登らなければ、とても失礼だ。
だのに私にどうしたって楽な甘い生活を送らせようと人生をかけて迫ってくる母も、私は説得できないで、結局どうすることも裏切りなのだと思って、最近はそういう、どっちを選んでもどちらかを不幸にするようなことばかりで、それだから私は、一人で家族も本もテレビもないところで、なんていうのですが、なに、私が一番見ていて愉快じゃないのが、みているだけで将来が塞がれていくように感じるのは、他の誰でもなく、甘い汁を吸って、お金よりもその奥にある親の心を見ない子供なんである。一番私が苦手なのは、そういう子供なんである。

11月17日

学校で面談をしました。忙しすぎました。寝てから書きます。すいません。
 


11月16日

もうここに書く日記をおもしろくするためにはこのホームページを官能小説サイトにするくらいしか方法を思い付けないので1,2日休みます。
ちょっとおかしくなりました。
御心配には及びません。すぐ書きに戻ってきます。
1,2日休んでほんとにだめなら、ほんとにだめならどうしよう。
いや、なんか明日も書いてる気がする。休めない気がする。はい。絶対明日書きます。もうなにも書くようなことは今ないのだけど書きに来ます。写真でも張ってかさまししてでも明日も書きます。
自分、夏休みとかよくかいてたなー。
今は忙しくないんですが、忙しくないっていうのは、準備が必要ないことばかりだからで、一発勝負だからで、けど勝負っていっても勝ち負けがはっきりあるわけでもなく、そういう感じのことがなんかもういっぱいあるんです。
それについてはいい夫婦の日に書こうと思います。しかしここ2カ月くらいの日記の文章の汚さは見るのもいやだー。

11月15日 暴露本教師廊下をダッシュ

明日は強歩大会だがあれは強歩大会と名のつくマラソン大会で、10キロ走なのである。
あしたは徹夜明けと言うことになるが走れるだろうか。やっぱりねようか。
明日私に誕生日祝いに昼を奢れと言ってたある人に謝罪する。どうしても君が満足できるようなものを食べさせてあげるだけの金貨を稼げなかった。言い訳させてもらう。頑張りました。君には理解できない原因で、いや、だって住んでいる世界が違うもの。そういうわけで、最も嫌いな金がないからお祝いできないという事態がついに、いや、あとひと月あなたの誕生日が遅かったってことにしてくれるなら、こちらだってぎらぎらしたおしつけがましい言葉を添えてデパートの食堂にでも行くんだけど、今だってどうにか動けないかじりじりしてるんだが、今になって、金が全てじゃないと私は妹に言い聞かせ、昔の話もしてやってる。咳が止まらないんだ今晩は。うん。嘘。

ついで白状するがあんたの家のみかんを毎日盗りに行ってたのは母の猫です。
毛布の裏に隠れて毛だらけにしたのは私の猫です。
さはれ!(古語辞典でひきましょう。)
君が想定するような暗いことは的外れだし、そんなもの楽しい。
想定できないことは愉快だし。
もう嘘を言わじとおもひき。それは今朝

11月14日
リズムが狂うような流行りの音楽みたいに節目だらけゆでたけのこみたいな年輪を刻んで抜け道の光。
また違った種類に代わっても空虚だってこととか、やっぱり自分の思う通り生きたほうが絶対良いって。
ああもうのんきなこと言えないて。のるかそるかだって。保管か食うかだって。それがこんな流行りの音楽聴きながら書けるわけないって。
砂鉄の匂いの部屋を刈りいれて真っ青な芝生にしたい。明るすぎるんだって月が。思い切りもフイになる。
そういうことだから世界中に音楽は消えてくれ。ベランダの外側にも部屋を作ってこの喉を破って鼻のほうから圧力になって新しいものは全て撒き散らして。そうしないと曇った窓の内側、大きめのシャツを着てどうなっちまう。
鎖骨の辺りにたまる煙の臭いと、下高井戸の焼鳥屋出た後の地下道。青白く光る他の誰かの誰かとの声。
生ぬるい速さで錯綜する世田谷線と京王線の光と通過音。夜の病院の二階の光。コンビニ。コンビニ。コンビニの裏はパーティ。あんなところ、あんな土地に住む下品な学生が、今は私の友達だってことを、輝かしい心を頬に込めて泥に横たわれば隠すことなど考えもしない未来がある。突き抜けて草いきれ。
もうどーでもいい。高校生がこだわるほどじゃない。本を読もう本を。
だからどうすればいいんでい。
霞が関で別れよう。これまでの色んな愉快が木端微塵になって、そうはいかない部屋にまた押し込まれ、床を這うように寝る。新宿の街の朝やけが来るまで、そらがぐるぐるぐるぐる光ってる。ああこんなに遠くちゃなあ。
東京タワーに朝陽が写るのを、このベランダから見ている。ひこうきがぶらぶらと山影を尻目に外国へ消えていく。八百屋の棚を見てると脳なんていらないような気になってくる。
もう苦しくなって言葉にもならない言葉を喋る。お母さん時を駆ける。白い台所に取り残されて朝になっては夜になる。階段に足をかけると突如膝をつきたくなるからエレベーターを使うようにしてる。
書くのも難しくなってきた。
なんかけっこう執着心が剥離しやすくって困ってるこの頃。
生きやすい性格なんだなと自分に嫌気を感じる。セロハンテープ。

(11月13日 )

フランス人と「古本屋っていいですよね!」という話で盛り上がる。
スペースシャトル作ってるフランス人。日本語ぺらぺら。
彼は古い漢和辞典を集めているらしい。
「美しい数式がほしい」とか言っていた。うーん。
 
ドトールのカフェラテはフランス人の口に合っただろうか。わからん。
明日は隣の公園で農業祭、らしい。またうるさくなる。どうしようかと思っている。
とりあえず携帯電話を新しくする予定。ソッフトバーンクのにしたい。
 
 
昨日何と、Kがやってきた。おちぶれたブルジョア。

11月12日
大雨降ると地面が灯油の海みたいになりますや。
どうも私は冬になるとこの帰り道が嫌で仕方ないんです。雪が降らない限りは。
信号の光は地面に映って気味悪いし、寒いし、一本曲がれば暗いし。アパートの駐車場に踏み入れるとほっとして、見上げると険しくて、自転車の荷台に腰掛けてにくまんをほおばる。湯気。
坂道にも赤と緑の光があたって、ぐらぐらしながら桜の木の幹をこっち側から赤色に、あっち側から緑色に照らしておって、セミやカブトムシや葉っぱはもうそこにいない。
高い建物が囲んでるんだなあと思う。黒いコートの背中がひきつる。
今日友達に本を貸したことを駐輪場で絶対ずっと考えている。そのほかに寒過ぎて考えること思い浮かばない。

11月11日
良いカメラがほしい。もー、毎日その日のこと書くの疲れてきた。て、そんなこと夏休みから疲れてるんだが、たまに入り込んだように楽しくて、そういえばそういう感覚最近味わってない。
色々ぐちゃぐちゃいじくりまわしてたらおかしくなってきた自分自体。
学校でこのホームページを読んでくれている友達が感想をくれる。が、そのたびに緊張する。だめだなこんなことでは。こんなことばかり書いてたら高校生がたのしいわけないじゃない。
やっぱり私は心から打ち解けたこの世で三人の人間以外に対しては、なんでも綺麗な形にまとめてからでないと外に出せないので、ここんとこ、変えていかなくちゃいけない。そうしないといつまでもこんなふうに、私が少し昔に考えていたことを追いかけるような文章しか書けない。
今日の自分というには幼すぎる。
誰もがお互いの体にも相手の言葉の本質にも触れないで一生を過ごす現代のなかでもせめて私は、あなたと殺し合わんばかりにぶつけあいながら知り合いたい。
死んでそれなりの理解を得ることは簡単だが私がたのしくないから、あくまで生きて理解し合う方向で。
とか、簡単に言うけどねぇ。
無理解のまま死んではいけないよ。死なせてはいけないよ。ねえ。とか簡単に言うけどねぇ。

11月10日 「弟子(?)」なんですよ。いま私は。

11月9日

我が家に調査官とかいうのが来て、非常に困惑。
若くも老いてもない調査官のおじさんとおばさん(多分物凄く頭がよい)が、前もって知らされていたんだが、夕方4時に家にやってきて、家の中を見渡してノートに書き込んだりして、そのあと食卓のテーブルでお話をしましょうみたいなことされて、毎日ご飯食べてますかとか、この部屋寒くないですかとか、昨日の晩御飯はなんですかとか、何時に起きて何時に風呂に入り、何時に寝ますか、休日は何をして過ごしますか、一日の勉強時間は何時間くらいですか、とか根掘り葉掘り聞かれて調査賞に書き込まれ、「じゃあお母さんと弟さんと、お姉さん、ご一緒にこのスケッチブックに駅からこのお家までの地図を描いてみてください。はい、色鉛筆。」と言われて、
私は「はあ?ふざけんなし。」と思ったが黙って椅子の背もたれにもたれていたが、次第にそのお絵描きが精神科で行われる「木の絵を描いてください」とは違って、弟がまっすぐ線を描けるか、漢字を間違えないで書けるか、私と弟と母の関係はどうか、などを探るものだと分かってきてさらに不機嫌になる。不機嫌すぎて渋すぎるはずのお茶がおいしかったよ、おい。
弟は「国際交流会館前バス停」の「停」の字を間違えたのでその瞬間おじさんのシャーペンが動いていた。あのやろー。
しかしここは黙って堪える。何を隠そうこの二人は裁判所からきた人だからだ。まったく私の両親が物騒な商売するからこういうことに…てわけじゃなくて、あくまで彼らは検察官じゃなくて調査官であるよ。
調査官ってなんなんすかね。あの微妙な姿勢の低さとか、しかしなんか半分は心療内科精神でできてるみたいな人。なのに心療内科の先生よりは痛いとこついてくるみたいなね。そして家の中を見る。
うぜえよう。
近所じゃ噂だったが、私の父と母は実によく警察のお世話になる人でありました。お世話になるってのは、警察呼ばれる方じゃなくて呼ぶ方ね。なんかちょっと夫婦喧嘩すれば警察。なんかちょっと子供が怪我すればそれを口実に夫婦でお互いに恥をかかせるために警察。
子供としてはものっすごく恥ずかしかったですよ。次の日小学校行ったら「おまえんち昨日またピーポー止まってたね!(笑)」みたいな。一時期「やくざ」とか呼ばれてたし。
警察には本当に申し訳ないことをしました。
何だかんだ言って私の両親は税金のもとをしっかりとってる人たちだと思うのだ。
こういうの「元とる」って言うよりは「無駄遣い」って言うんですよね。たぶん。
ああ、ちなみに脱税もしてませんからね。
最近じっとしてるとしょうがない気持ちになって、なのに外に出ても曇っているものだから、よけいに川とか見て羽虫とか固まってて嫌になるもんだから、PCを前より長い時間開いています。
ツイッタ見てたら、太宰治botとかあってわろた。
中原中也botとか夏目漱石botとか坂口安吾botとかある。どっから抜いてきてるのか分かんないのもかなりあって、読みなおそうという気にもなる。ツイッタは自分でやり始めると不機嫌になるかもしれないけど、みてる分には楽しい。ツイッタてどんなの?っていう同級生が多いので、なんか、こんなんです。ちなみに工藤はツイッタをやっていません。偽アカウントに

ご注意ください(誰も偽アカウント作んないよ!)


11月8日 ソフトバンクのソフトキャンデー

ついに英雄を裏切って柔らか銀行側につくぜ。
英雄も柔らか銀行に間借りすればいいのにと隣のカップルはぼやいた。乗り換えのために店をはしごするの面倒なんだ。
十年前おやじが言った。タバコ屋に呑み屋、間借りすればいいのに。はしごするの面倒なんだ。第一呑み屋は禁煙なんだ。
面倒とか言うのやめようぜ、と英雄が言った。スカイプ機能がなんだ。タッチパネルがなんだ。ホワイトプランがなんだ。お父さんとかいう犬がどうした。答えは見つけたか。
時代が遡る場所、柔らか銀行。
…グーグルで「夕帰りの子供たち」検索すると裏ページがこのトップページの次に出てくる。もはや目立ち過ぎて裏じゃない。

11月7日 岩波

ここ何日か、半年前のように一人だった。
しかし半年前とは違って生きている手ごたえを感じる。
半年前、私は感情と常識だけで生きていた。歩く感情。
常識の範囲内で生きているので他から倒されることはないが、昨日も今日も明日も感情だけなので前日の記憶がほとんど失われていた。
「昨日は晴れだった。」とか「昨日は何もなかった。」とか、そんなことしか残らない。
何を見てもどこか茫然と、行動を起こす気がなく、爆発の後に遺体が運ばれていく砂塵の道に立ちつくしている少年のように、感情を響かせる術を持たず、ひそかに憤ったり、甘いつばを飲み込んだりしていた。若干の閉塞感。
なるほど自分は外から見れば無感情だった。
眼球の裏に空洞があって、感情の動きはただそこで反芻されるのみだであった。私以外の人間がそれを感じ取ることはおそらく不可能だっただろう。
一人では考え続けることができなかった。
一人になると景色を見て綺麗だとか淋しいとか思っていた。心は広々と、締まりなく広がり、温度と一体化できた。
今は一人になると考え続けてしまう。
古本屋で本を買うときでさえ、感情が割り込む場所もないほどに考え続けている。そういうわけで一人でいると無感情になる。
衝動で参考資料のように読む日もあり、古本屋から出ると夜で、泣けてくる。
しかし前より生きているんだと実感する。たぶん、寿命を縮めている。
夜になじめず、白いシャツに風が入る。命に触れたものが熱を持って背中側に抜けてゆく。
なんにでもなれると思う。
自分が望めば何にでもなれる。今そんな自信だけが心にこもっている。
煙を吐き出すように深い息を吐く。肺が熱くなる。右のわき腹で太い血管が脈打つのを感じ、指先で押さえて立ちあがる。夜の神社。
瞳に真っ白な眩しさが蘇る。自転車が冷たくなっている。
 
自分の確かな存在が、がつがつと風を切って、急坂を一気に降りていく。
家に帰ると布団の脇に、白い人が座っているのだ。
満ち足りた言葉をおくれよ。本を読んで冷えた体で、そのまま眠る。水が体に染みわたるのは、やはり冬だからだろう。

11月6日 破戒 (長いです)

お久しぶりです。工藤です。
日記なのに「お久しぶりです」ってのは、けしからんですね。ちょっと真剣に色々試行錯誤してたもので、今日からきちんと更新します(11月9日)。
この三日間、私という人間には、こんなにもいじれるところがあったのか、と、感動したくらい、色々試しました。髪型とかそういうレベルじゃないですよ。喋り方、心の開き方、言葉の強さ、考え方、受け入れる範囲、とかそういう結構、印象が危うくなるくらいの部分までいじってみたのです。かなり極端に。
思考錯誤の犠牲になったクラスメイトのみなさん、近所の人たち(工藤家の皆さんも)、ご迷惑をおかけしました。でもちょっと楽しかった。物凄い苦しかったし疲れたけど。

頭の使い方が悪いから、お説教してもらってもその時には完全には意味が分からないので、家に帰って、11月7日の夜から11月8日の朝型まで寝ずに考えていたんだが、やっぱりどうもよくわからん。ここまで頷けないことは珍しいので少し焦る。
ていうよりは、めっちゃ頷けるけど、「うんうんうん、うん。うん。でも別にどっちでもよくね?つーかそんなん性格の一部じゃん。色んな人がいてもいいじゃん。」という結論に何度考えてもはまり込むので苦しんでいた。
ジャッキーさん(これまで私が日記で師匠と呼ばせて頂いていた人であります。呼び方を変えた理由はリンクページから飛べるジャッキーさんのホームページの11月7日付の日記を読んでいただければ分かると思います。)がしてくださったお説教なんだから正しいと思うんだけどなあ、と思いながら、「いや、…でもなぁ」と思っていた。「もしかしてこれは…価値観の相違的な!?うわー」とか思っていた。
寝ないと死ぬので、とりあえず寝ようと思い、ジャッキーさんのホームページをチェックしたら11月7日付の日記がアップされていたので、読んで、焦る。「あはーん、プライド!」とか思って、なんか相当精神的にもイカレていたので、「明日は一日プライドを捨てて生活しよう。そうしよう!」と決意し、つーかそういう意味じゃないし、絶対違うんよ、とかって湧き出してくる声をシャットアウトして6時まで二時間眠る。
朝6時、最悪の眼ざめだが昨日決めたことを忘れるわけはないので、プライドを捨てて生活することを自分に言い聞かせる。
ついでに、喋らなくていいと思うことも喋れ的な事言ってたぜ、私は勝手に要らないことだと判断して口にするのをやめてしまうが、その判断はだいたい間違ってる、みたいなこと言ってたぜ、とかぼーっとした頭で思い出したので、思いつく限りの失礼にならない言葉は口にしよう、ということも決意し、若干的外れなんだよ、とかも思いつつ、やってみるしかないですよ、てな気持ちで、家族に、「おはよう、寒いね」「ご飯を作るか、よーし」「お母さん、風呂を沸かしておきましたよ」とかいつもなら言わないで仕事だけこなしてるようなことを口にし、うわー無駄だ。うわあ、いやだよー、と思いながらご飯を食べて学校へ行った。階段を下りる時、母に、「今日どこか行くの?」と聞いたら「面接。あんた今日血圧高いわね。」と言っていた。
無駄だーいやだー。と思いながら自転車をこぐ。だんだんこのへんから、こういうことじゃないに違いない、と思い始める。前もって言っておくとこの日の日中の行いのだいたいは、かなり関係ない方向に向かって突っ走っている。
一時間目の英語演習を受ける。素敵に頭が冴えるが、次の時間の授業教科が分からなくなったので前に座っていた、エスパー加藤に、細心の注意を払いつつ、「次の時間の授業、なんでしょうかな」と聞いてみる。その途端びりっとくる。振り返ったエスパー加藤と波長が合っていない。彼女が、なんだ変な奴だな、と言う顔をして「せかいし、いや、日本史かな」と答えてくれる。あとから聞いたところ、彼女はすでに私の態度がいつもと違うことに気付いていたらしい。さすがエスパー加藤。
≪参考≫
・いつもの工藤なら:「次の授業何か知ってる?」「あー、そっかさんくす。」
・8日の工藤:「次の時間の授業、なんでしょうかな」「どっちだろうね。…うん。ありがとう。」

ますますこういうことではない気がする、という思いが募る一方、これは楽しい、と思い始める。しかし相変わらず何かに焦っている。
耐えきれず昼休みに、いや、別に耐えられるけど嫌だったので昼休みに、一番クラスで親しい友達に愚痴を言う。あやつ、とてもいいやつである。
愚痴を言うと「私は悪くない!」という気持ちになる。危険なのでほどほどにして唐揚げ丼を貪り食う。
日直だったので放課後の掃除をしながら、加藤に、「実はきょう、プライドを捨ててたんですよ。ずっと。」と打ち明ける。「なんか変だったしぃ。絡みにくいからやめてほしいんだけど。尾崎っぽくないと思った。」みたいなことを彼女が言うので気付いてたのかと驚き、しばらく話すと、どうやら英語演習の時間に次の授業の教科を聞いた時にすでに気付いていたと判明。他には自分で気付いて私に教えてくれたクラスメイトは、いませんでした。気付いていた人はいたのかもしれないけど。
掃除をすませ、駅まで加藤ともう一人の友達と帰り、別れて、私はブックオフと古本屋ツヅキ堂をはしごする。
ここまでくると、私は完全に今日やっていたことは明日も続けるようなことではない、と確信していたので白紙に戻して、ツヅキ堂のレジ横に置いてあった脚本傑作集(315円)、リア王(150円)を購入、ブックオフで日本文学5(樋口一葉、徳富蘆花・国木田独歩 105円)を購入。リア王は持ってるかもしれないが、どうせすぐには見つからないので購入。一週間お金使わない計画崩壊。二時間立ち読みしたあと、真っ暗の中家に帰り、ラジオポッドキャストを聴く。古本屋に入ってからラジオを聴くまでの間、考えていたことは説明できるほど覚えていない。
この日の日記の最後にラジオの番組名(?)を書いておきましたが、簡単に説明すると、快快(faifai)っていう劇団の人が主になって作っているラジオです。
今日買った本を読みながらラジオを聴いていると、「ふーん、これは!」と思った。このラジオに出てる人は、一つ一つのセリフを切り取ってみれば自分勝手な突っ込みとか、空気読めない意見を言っているのに、痛い沈黙が落ちたり、失礼な感じが出たり、しない。
例えばこんな感じ(セリフは思い出せないので私が考えたものを)。
Aさん「このスタジオの向かいに止めてある車、ありましたよねえ。」
Bさん「あー、ありましたありました。Aさんの車ですよね?」
Aさん「いや!あれ僕のじゃないんですよ。ちがいます。」
Bさん「え!違ったんですか。Aさんの車に似てますね。Aさんの車かとと思いました。」
Cさん「…私もそう思った!」
Aさん「色もフォルムも似てるんですよね。でも僕のは、シャンパンゴールドですから。」
Bさん「あはは、ただの金色じゃないんだよね。」
こういう感じの会話を、けっこうなスピードで進めるのです。
私がもしCさんであったら、「…私もそう思った!」って一言、言おうか迷って、そしてたぶん言わないだろう、と思った。
ちなみにCさんはAさん、Bさんに比べて声が高い。
Cさんが女性であるのに対し、AさんとBさんは男性である。
「…私もそう思った!」の一言はこの何十秒間かのトークをくるっと明るく、楽しいものに仕上げている。
なんでできるんだろうな、こういうの。と私は思ってラジオを切り、リア王を読み始めた。
第一幕のところを開き、最初私は普通に目で追って読み始めた。最初はケント伯とグロスター伯の会話から始まる。私は「ふーん」と思って読んでいた。
しかし、リア王の長女であるゴネリルが出てきたところで私は急に自分で声に出して読んでみたくなった。ので、読んでみた。面白かったのでどんどん読んで、三女であるコーデリアがリアの怒りを買い、リア王とケント伯が言い合うところまできて、私は読むのをやめた。大きな声でやりたいところだが、夜だったからだ。そして本を置いて布団を敷き、布団の上に座って、ずっと考えた。私はもう一度リア王を開き、小さい声で読んだ。「おうおうおう!」何か気付いた。
でもそれはごちゃごちゃとした気づきだったのですぐに遠のいた。
まだまだ楽しかったので読んだ。
こう、ケント伯のセリフが、リア王に届き、リア王がまたケント伯に何か言い、それを待って、受け、セリフが続いて行く。言葉が、ぐっ、と、体に沈み込む感じだ。沈み込んで、考え、必要なだけの長さと、言葉で返す。
ぐぐっと食い込む。受けて、返す。
私はなんか感動した。
これか、と思った。
必要なのは、やってくる言葉を見つめることだ。見つめ、把握し、ほんとうにそのことばのための返事を返す。そのことばのための反論、共感のことば。
ことばを受ける時には、体を大きく持って、覚悟し、やってくる言葉を見て、体を大きな袋のようにして、袋の底でことばを受け、練り直し、噛みしめ、新しいものを作り、返す。
ことばが、ずぽっと体に入ってくる感じがする。背中に張り詰めるくらいの勢いで食い込む。

ことばは、背中や肩や、つむじでは聞けない。無表情な、仮面のような顔でも聞けない。
目だけでも、耳だけでも聞けない。
体を開くことだ。
ことばが、ずぽっと、体に入り、底を打つ感じだ。
袋のような体の内壁は乾ききっていて、そこに余計なものは入りこまない。言葉だけが入ってくる。

そうか、と思った。
ことばも空気も体に取り込まないで会話をしようとするから、だめだめなことになるのだ。
こう、ずぽっと入ってくる感じだ。分かってほしい。
体めがけて飛んでくる途中、観察する。見つめ続ける。
入ってきたものに応じて作ったことばを返す。
プライドとかそういうものは、関係ない。会話にプライドとかを注ぎ込んではだめだ。ああそうかー。
そういうもので膜を張ると、ことばを跳ね返してしまい、たぶん少ししか入ってこないし、言葉が出て行くときもひっかかってねっちょりしてしまう。要らないことばもつけたして、ほんとうに入ってきた言葉のためではない事も言ってしまう。まさに石。雨に打たれて川底に沈んで藻を吐く、石。
やり取りする言葉に、プライドや偏見が直接触れることなどない。そういうものと関係なく、熱くなって考える部分だけが触れることのできる、素直な言葉のやりとりだけだ。

学校へ行きたくなった。
早く学校へ行って会話がしたかった。

寝て、起きて、今日、学校に行った。
いろんな話をした。
どうやらことばっていうのは、おいしい。 会話って食事みたいなもんだ。
ぼすっ、と袋の底を打ち、重みがかかる感じ、快感。
しかしことばを上手い形にして返すのがうまくいかない。難しい。上手い形にならない。
明日からまた気をつけて話してみる。
とりあえず、リア王を読んで、気付いたのだ。なんか。

これをジャッキーさんが「そうそう」と思ってくれるか思ってくれないかは別に重要な問題ではない。というか、そういうことを忘れて書いていたので、かなり自分用の日記になってしまった。けども忘れられない思い出として、すごく長くなってしまったが、久しぶりの日記更新とさせていただく。
勢いで書いたために文章がおかしくなっているかもしれないが、あんまり直したくないのでこのままアップすることにする。
最後に、これを誰かが「そうそう」と言ってくれる可能性は無に近いと思っている。
なぜならこんな葉っぱの上から落ちてきた水滴を一粒浴びたようなひらめきは、感動は、衝撃は、とてもこの日記で語りきれたとは思えないし、こんなのは、あくまで、私なりに、7日の夜から9日の夜までに考えたことで、なかなかこれは、生き方を変えるくらいの気付きだし、文章も下手なので表し切れていないだろう。

ただ、私が、こう思った、というだけの、ことです。それだけです。(これが正しいんだぞ!って言いたいわけでもございません。)
それに、会話がうまくできなくても、仕方がないと思う。もしこの気づきをきっかけに私が上手く会話できるようになったとしても、なんだか、こんなことに気付くか気付けないかは、運の問題のような気がする。
これでだんだん上手く会話ができるようになって行ったとしても、それは運に恵まれていたということもあって、偶然読んだ本の順番がよかったとか、読んだ時期がよかったとか、聞いたものから大切なワードを聴き逃さなかったとか、そんな偶然のおかげとかいうのも、もちろんあるだろう。
偶然と運に努力や苦しみながら掘り進む力が勝てない時だってあると思う。
そりゃあ、努力しながら運や偶然にめぐり逢えたらとても素敵だと思うが、どんなに頑張ったって上手くいけない人もいる。
努力していても偶然や運に恵まれなくて気付けない人、努力していたら偶然や運を掘り当てて気付けた人、たったそれだけの違い。たったそれだけの違いだ。
努力だけで気付ける人なんてほんの一握りだろう。運や偶然だけで気付ける人もほんの一握りだろう。それに、そんなふうに周りに言ったりしているひとだって、どこかで少しでも運や偶然に助けられていたり、少しだけでも努力していたりするものだと思う。

今は偶然や運に巡り合えない人も、あとすこしで巡り合えるかもしれない。
いまは努力の仕方が分からなくても、いつかは突然ツボを見つけるかもしれない。
私はそういう人たちに、「脳みそ入れ変えたほうがいい」とか言うことはできないです。それはあまりにも焦らせ方が残忍すぎる。ネットは怖いし。
子供が生まれる前からエコーで性別を調べたがる現代人みたい。
カップめんの3分×2カップは待てるのに電車の遅延6分は待てなくて駅員を殴る通勤客みたいだ。
少々えげつないんじゃないかと、私は思わんでもありません。
 
それから、自分がどれほど酷いことやってたのかやっと気付きました。

〈この三日で読んだ本〉
帝国文庫(25)脚本傑作集 全(水谷不倒・校訂):気になる部分拾い読み
中央公論社 日本文学(5):気になる部分拾い読み
岩波文庫 リア王(シェイクスピア/斎藤勇・訳):第一幕だけ
集英社文庫 ワセダ三畳青春記 高野秀行:ペラペラした
その他、古本屋とブックオフにあった色んな本
〈この三日で聞いた音源〉
ラジオ:WEATHER Radio Programs ウインドアンドウインドウズ
その他いろいろ

11月5日 
わかったかもしれない。ちょっと考える。
古本屋で買ったリア王を読んでいた。

本棚がらんとしている。みかんもらった。さむいへや。あったかい鍋。


このホームページを「ゆっこ」と呼んでいる人がいてすさまじく嬉しかった。


11月4日
これが2時間しか眠ってないとかだったら案外冴えて、なにか面白いことの一つや二つ書けたかもしれないが、ぽかん。この二日間、4時間睡眠。
何も書けなーい。

金がないことを一言も口にしないかっこいい奴になろうとしたが無理だ。金がないことを言わずして17年目の秋の新鮮さは語れない。
金がないと言う奴はかっこわるいかもしれないが、金がなくても人を楽しい気分にできればかっこいい。
とか、私がここ1ヶ月くらい言い張ってることを、「そんなん無理だ」と、昨日同級生に一蹴されたので、悔しいから明日から一週間、一円も金を自分では払わず(「後で返すから」と言って人に借りるのもなし。借りるのなし。)に、いつも通り楽しく過ごそう。絶対出来るのだ。いつもと似たようなもんだし。つーわけでその人の目の前で所持金全額郵便局に入れてきてしまった。 全額と言っても二千円。
ほんとのこというとお金を貯めなくてはいけない。
ところが早速心細いので、土曜日わが校を受験する受験生を対象にした学校案内会のボランティアに参加する。参加するとお土産がもらえるのだ。お土産は風月堂の菓子だろう。毎年そうだから。
てなわけでなんか、学校案内会のボランティア(受験生一人に二人の生徒がついて学校を案内する会)に参加することになったのだが、こんな奴が参加していいんだろうか。しかしまあここは、やると決めたら完璧にやらねばならぬ。言っとくけど私はボランティアしていい人な気分に浸りたいわけではなく、ただおやつがほしいのだ。ほんとに!

下北沢でカラオケ三時間→プリクラ→タピオカ屋→CDショップ
人生で三回目にプリクラというやつを撮った。
なんか補正機能がすごいぞ。ものすごい美肌に写るぞ。詐欺の域だわ。
皆さんにお見せしたいくらいだが友達も写っているのでやめときます。が、あれはホントに怖いですよ。楽しい。
今日一緒に撮った誰かがブログにでもアップしてたら私も載せようと思います。
なるほど女子高生の遊びってこんな感じか。(10月5日)


11月3日
このホームページを見てくれたクラスメイトから感想をもらった。嬉しかった。
生きてるうちに会えたら奇跡だなあ、くらいに思っていた人に会えた。
思い切りと思いつきが必要だ。
楽しかった。
この日のことについてはいつかもっと書こうと思う。
とりあえず毎日のように誰かに電話したりするのはやめようと思うが、アイポッド買いたい。

11月2日 
昔仲良くしてた女の子に電話して言ってたら、らしくないね、と言われた。寒いんです。
みんな愛想尽かさず私を見ていておくれよ。
追い詰められている。ここで文章を書いている。それを今日の午後に友達が一文字一文字読んでくれる。机の上には暗い中に、こないだ彼女たちと撮った人生三度目のプリクラが置いてある。それだけで、私の半分は生きていけるような気が、します。半分だけはね。
けどもやっぱり人は信じきれないから蛍光灯。川や空が、太陽が、道路が、土が、余りにも安心で、そういうものたちとだけ仲良くしたい。
どうかみんな私の好きな人を裏切らないでくれよ。
笑えないことばかりするのやめてほしい。もう笑えないことを笑える事にかえるの、疲れてしまった。明日からまたがんばるけど。毎日が重い。もう力が入らない。どうやって、何かをムキになって手に入れてたんだっけ。見えない。押しつぶされて裏切られるのなら、二人の間に、汚い言葉や幸せだけが降り積もっていくなら、一緒にいたことがなんの気休めになる。そんな二人ばかり集まってできた集団にどんな幸せや素晴らしい春が来るって言うんだよ。
明日が、今日と同じだよ。
もうなんの情緒もない。暗い駐輪場で誰かが待ってることを期待してるのは、私だ。私だったのか。
だめだー、どんどんダメな人間になっていく。
こんなん友達に見せるのか私は。
11月1日 胃の内壁でなにかいけないものが爆発しそうな時に母の部屋の匂いを嗅ぐとそこだけ温かい空気があって、むっとするような水分が器官を通る。胃の中に湿った毛糸の玉が入ったみたいに、昂った気持ちが押し込められる。鏡に映る光がまぶしくて爪を切らなきゃとか関係ないことを考えてる。ああこんな夜にはただの気違いになる一歩手前。いいわけをしながら考えをまとめて一つの打ち消しで無に返す。スクールバック、紺スカート、レインコートから滴る水の音、恐ろしい。
休みの日など、時報の間が夜になるにつれて短くなり。夜になって何か口ずさみながら日記を書く。これだから携帯電話の時報の機能が大好きです。
考えるよりも感じたい。それでなくちゃどうすればいい今。どっちもなんて無理。考えるほどにPV並みに髪が乱れ、どーすればいい。何をする。どこまでまもって、いますてればいいの。
険しい言葉を積み重ね個人面談の午後には窓の外、流星群、色あせた紅葉、白い階段にいくつもの黒い影が落ち、ひらりひらり雲が落ち、背中のどこかに腕を感じる。弱さを見せた。この馬鹿らしいいいわけのために。
だいたい無理愛されるのは無理。日によって愛せないしね。いつもミルクティー飲んでいられないし、夜のためには珈琲を買いに行かなくちゃ。絶対無理毎日会うなんて無理絶対無理だもんこんなに長い時を話もしないで過ごしてきた。
そういうもんじゃないと誰かが言う。でもそんなの無理。誰も知らないんでしょ。流行りのドラマが一番必死になっちゃう。もう筋も通ってないし、付きまとって来るし、まじめに仕事なんてしてられない。でも仕事に逃げる。ホントの事は誰にも言わないで黒い画面に突き刺して、そのあと配信。アジア中に広がる分かんない。もっと家族のことも考えてるはずなのに。てかそうなのに、毎日の終わりには一人の中の一人のその中の一人の鏡の中の恐ろしい双眸。落ち度だらけだよ。
その一言で救われるとでも、その一言を受け止めた横から昨日のことを思い出すのに。怒らないけど、否定しないけど、批判することももうしたくないんだ。どうしたもんかね。
あんなに仕事がしたかったのにね。流れ星を弟と静かに並んで見ていた時も、公園沿いを走る車の値段をしばらくは聞いていたんだけど、気が済まない。それでも。そんなものどうでもいいのに。光がまぶしい。川が遠い。星が消えているそんな場所で穏やかなふりをする。木の下で足踏みしてみては笑う。ああもう。ひとでなしになったやつが、木の上暗い所から草原の笑顔で私を見てる。どうか、どうか、降りてこないでくれと、知らない人なのに、大胆に踏み込める。その一歩に熱がこもってどうしようもない。狂っている。どうすればいい。言うべき言葉も見つからない。だから歩いて、水筒のお茶を分け合って触れあう。
判決は22日。もしかしてもっと先、どこまで一緒に行く、どこから一人ひとり。先がわからないよ。いまさけんだよ。こんなん音楽にしたらどうかなって、違うんだ。他にあるんだ。もっと明るいことだって、あるんだ。夜じゃない時間も私は起きて生きてるんだよ。なのに、あんなやつに負けない。負けないとか言うことすら格好悪い。星が落ちる落ちるというより滑って行くような。それを見て初めて立ちあがって草の匂いを嗅ぐ私たちの将来は、もう、いいか。
私が茫然としてても見ていてほしい。それでいいと思うから。それでしか生きられないから。
公園に行く前に手紙を書いた。  * 
なんでもデジタル任せにするあんたが嫌いだっていう手紙。私というのは、ほんとに救いようのない人間です。
師匠が好きすぎる。歯を食いしばりすぎて奥歯が痛い。どうしたもんかどうしたもんか。普段はこういうこと書かないんだがどうしたもんか。こまったなあ。こまったことにこまらないが。
 
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